「社会人」の問題

茶髪から見た差別社会日本
この記事の論旨とは直接関係ないけど。

「社会」なんて人が作り出した単なる概念です。社会は人間で構成されていて、実際にあるのは人と人との相互作用です。おかしいのは、彼らの言う「社会人」の自覚に、社会の構成員としての当事者意識は含まれないところです。

まあ、社会人であるかの基準に、「社会の構成員としての当事者意識」の自覚なんて関係ないからね。ある人が学生であれば、たとえどれだけ「社会の構成員としての当事者意識」を持っていたところで、彼/彼女は学生であって、社会人ではない。

「社会人」という言葉はゴマカシである。そればかりでなく、排除の言葉でもある。私は前々からこの言葉に違和感を持っていて、twitterはてブでも以下のように発言している。

commissar「社会」という言葉から連想される言葉に、「社会人」という言葉があるが、これほど不可思議なものはないね。「社会人」とは一般に、「(フルタイムで)働いている人」みたいな使われ方をしていて、学生とかは含まれないとされている。link
commissarしかし我々は、生まれたときから死ぬときまで、ずっと社会の中で生きているわけで、つまるところ、全ての人が「社会人」だと思う。この概念に含まれないのは、人里離れたところで一人で暮す仙人くらいなものだwlink
はてなブックマーク - genosseのブックマーク / 2009年12月17日

同感である。私も常々「社会人」という言葉には嫌悪感を感じていた。この言葉が表しているのは、「一定の基準を満たした者だけが、社会の一員とされる」という、排除の論理である。だから極力使わんことにしている。*1

「社会人」という言葉はもっと問題視されてもいいと思うんだけど、そういう議論は中々起こらない。残念だ。

参考:「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ<この記事の方が、私の記事よりも元増田の内容に合ってるかもしれない。