フェミニズムに基づく表現規制が女性の権利を犠牲にしうるという皮肉について

まとめよう、あつまろう - Togetter
こういう「天使がスプーンの上に何人止まれるか」みたいな抽象的な議論は苦手なのであるが。

上のまとめについてのコメント

fut573例えばマッキノン関係の談話などを見ていくと、女性が性表現を「する」側に立つことを想定して無かったように思える。しかし現代では女流AV監督とか、女性エロ漫画家とか、そういう人達が現在では少なからず存在する http://togetter.com/li/26028link
という指摘は重要だろう。

コミケの参加者は、特にサークル参加者については女性の方が多い、というのは、周知の事実となっている。また、私のよく行くローゼンメイデンオンリーの同人イベント「まきまき」においても、ジャンルの性質もあるだろうが、大抵女性の方が多い。尚、18禁のものを頒布する人についても、前者はどうだか分からないが、後者については、目立った差は見られない。

あと、弁護士の山口貴士さんが集めている「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案に反対する請願署名」においても、

otakulawyer(署名活動雑感)性別欄はないのですが、名前からすると女性の署名がとても多いのにびっくり。男性より多いかも?link
otakulawyer(署名活動雑感)子供のいる人も多い。link
このような状況となっている。

これらのことは、性表現規制が、自らの守ろうとしている女性の権利をも制限してしまう、という現実を表している。規制がなされるならば、彼女らの権利は実際に侵害されるのである!

しかし、だからといって直ぐ否定されるべきものでもなかろう。「女性の権利を守るためならその権利を一部制限することも辞さない!」という考え方は、私自身は否定するところであるが、考え方の一つとしてはアリであろう。アメリカ人が、911の後自らの自由を守るために自由を制限したことと同じである。

だが、この現実そのものを見ようとしない傾向が見られるのは残念なことだ。本来は、そうした逆効果も見た上で、「それにもかかわらず、規制はやらねばならない」という覚悟を持ってやるのならば、大いに賞賛すべきところなのであるが。

この犠牲について、どのように考えているのか、気になるところである。

蛇足ではあるが、ラディカル・フェミニストについては、そのような立場に対する反対の立場を出しておくのも、悪くないだろう。
http://civilliberties.blog63.fc2.com/blog-entry-359.html
ACLUはグアンタナモの問題など様々な市民的自由の問題に関わっているが、こういう良心的立場も居るのが腐っても(失礼)アメリカだ。