地方と自動車と生活保護

「生活保護受給者に自家用車を」 日弁連意見書に批判、疑問相次ぐ : J-CASTニュース

本来は、住民の足を守るのは公的機関の役割なので、公共交通に出すお金が減っている今、必要としている人間に対して、それに代わりうる手段を提供することは義務である。

都会のバス路線の、ミッチリ詰まった時刻表だけしか知らない人はどうだか知らないが、田舎のバス路線の、あの隙間だらけの時刻表を見てうんざりしたことがある人間なら誰でも、私の意見に耳を傾けてくれると思う。

ある東京都内の路線バス運転士男性が2010年5月19日、「車はぜいたく品です」とのタイトルで意見書を批判した。男性は、「年間の維持費を考えて下さいよ。燃料・保険・車検・駐車場・税金で軽自動車でも年間数十万に上ります」と指摘した。月12万円ではそれらを払わなくなるのではないか、行政がすべて免除することになるのか、という疑問らしい。そして、障害者でもないなら、「徒歩・自転車・公共交通機関で十分でしょ?」と書き込んだ。

この人が東京のどこのバス会社に勤めているのか定かではない*1が、なんなら、そっちの会社をやめて、私の郷里のバス会社である淡路交通に再就職したら如何だろうか。そしてぜひ、実態を見て頂きたいものである。

地方において、自家用車に最適化されたロードサイドの店舗が増えたことに、あるいは公共交通がどんどん不便に貧弱になっていったことに、これらの人々に如何なる責任があるというのだろう。これらのことは、資本主義社会の帰結である。もっとも、私は社会主義者ではない。だからそれを全否定するものではない。

資本主義により生じた矛盾。それを修正するのは、政府の役割ということになっている。少なくとも20世紀の考えでは。ただ私は、政府の権限が無限に大きくなっていくことについて、望ましいとは思っていない。政府が全ての役割を引き受けるのでもなければ、個々人に全ての責任を押し付けることも無く、その中間にある「社会」が上手く解決できるようになれば、ということを夢想する。だが、上の記事を見れば、その道は遠いと言わざるを得ない。

*1:東京都といえども、田舎と呼ぶにふさわしい場所もあるので