「ゼミに出ない学生」と「『役に立たない』学問」

就活に喝 - 内田樹の研究室
内田樹のこの記事について。
ブコメでも述べたが、私からみれば、学者(それも著名な)と共に学ぶ機会を無駄にするのは、実にもったいない、と思うわけである。
もし説明会や試験などがあるなら、別の日に予約をするか、あるいは日程を変えてもらえばよろしい。企業側の心証を悪くするかもしれない、という懸念があるのかもしれないが、まっとうな大人ならば、学生の本業を大切にしてくれるはずである。もしそのような理由で、企業がその学生に対し悪い印象を持ったり、また選考で不利な扱いをするなら、そのような会社には入るに値しない*1ので、むしろ幸運ですらある。

私の周囲において、学問の価値について理解している人間は必ず、学生時代を思い返しては、いかに学ぶ機会に恵まれていたかを実感し、そして学びをなおざりにしてきたことを後悔している。それは非常に残念なことだ。

とはいえ、ここで学生を批判するだけでは能がない。ところではてブにおいて、

xevra 社会に出た事もない学者先生はお気楽でいい身分だ。多くの学生が「ゼミは価値が無く役立たず」と判断している現実をもっと真摯に受け止めるべき。

という指摘がある。

おそらくこの点は、下の記事とも通底するものがある。
「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog

内田樹について学問的なことは殆ど何も知らないのであるが)人文科学という分野は「なんの役に立つんだ」という問いを投げかけられやすい分野でもあるだろう。実際、彼には以下のような経験があるそうだw

神戸女学院大の内田樹は、国立大で授業をした際に学生から「現代思想を学ぶ意味は何ですか」と開かれた。
「(この学生は)ある学術分野が学ぶに値するかについての決定権は自分に属していると表明しているこの倣慢さと無知にほとんど感動しました」
 学ぶことから逃走する学生が増えていることに、著書『下流志向』でそう驚愕している。
俗流若者論ケースファイル84・河野正一郎&常井健一&福井洋平: 新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~より

恐らくゼミ生もまた、このような問いを持っているか、あるいはもう自分なりに答えを見つけているのだろう。「就活をして就職先を決めることに比べればゼミに行くことなど意味がない」と。

そして、今問題になっている(事業仕分けでも問題になった)基礎科学の分野の学者さんは、「どういう意味があるの」とか「なんの役に立つの?」という問いに対して「倣慢さと無知にほとんど感動しました」なんて答えることは、現実問題できないだろう。予算欲しいし、ベストセラーを何冊も出せるわけじゃないw。

まあ、現代の日本は何かと短期的な成果のみが重視され、また確実に成果が出ると考えられるものを重視している。これは学問の分野に限ったことではない。ゼミより就活を重視する学生は、その表れでしかない。なので、学生を責めてもしかたのないことである。特にこういう不景気では、彼/彼女にとっては何よりも「内定」という成果が欲しいであろう。

私が思うに、「無駄なもの」「役に立たないもの」も大切にする包容力ある社会こそが、豊かな社会になっていくと思う。そうなれば、投下したお金よりも遥かに大きい利益を生み出すことだろう。

人間についても同じことが言える。実務的な知識だけが頭に入っているような人間や、毎日如何に仕事や勉強を上手くこなしてキャリアアップするかばかり考えているような人間より、「それなんの役に立つんだ?」というような知識が頭に入っていたり、「どういう意味があるんだ」というような事を日々考えてたりやってたりする人間の方が、遥かに魅力的だと思うのだが、どうだろうか。

*1:学生の学びを等閑視する企業が、社員の学びを大切にしてるとはとても思えない。そしてそのような会社は、いずれ淘汰されるだろう。