守旧的な大企業&日経と先進的な「一般職男子」
この記事はひどい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100408/213893/
中でも1ページ目の「一般職男子」は、はてブでも沢山突っ込まれている部分であるが、実に時代錯誤的な内容である。
全体として、最近の学生は質が低下しているという論調をこの記事では取っている。一般職を志望する「一般職男子」は、その証拠の一つであるという。
その内容についてはいちいち語るべくもあるまい。「採用担当者」の性規範に囚われた意見をもとに、それを批判するわけでもなく、逆に「ゆとり世代」を叩くネタとして用いているという構造である。例えば下の引用。
大企業の採用担当者は手厳しい。「一般職に応募する男性は、まず採用しない」と口を揃える。
とある。しかし同じように「総合職に応募する女性は、まず採用しない」などと言ったらまずいことは、大企業に勤めているような人間なら分かりそうなことだろうが、その辺の想像力が欠けていることは、実に残念である。また、この言説の問題点を指摘しない記者*1も同様である。
おそらくは、次のような様子であると想像する。本来なら、募集する際に「男性不可」とでも書いておきたいところだが、そうすれば「性差別的な企業である」という悪評が立つので、企業イメージを守るために、敢えてそういうことは書かない。そのかわりに、外見上は誰でも応募可としておきながら、選考の過程で落とす。企業の採用選考というものはブラックボックスで、どのような理由で落としたか開示する必要はないからである。こうして、求職者に対して無駄な負担を強いるわけである。
(私の聞いた話では、総合職の説明会に来た女子学生に対して「総合職では女性の募集はしていない」と言って帰らせた例もある*2。無論、説明会(求人)の案内にそういうことは書かれていなかったそうだ。書けるわけないよね、「女は来んな!」って。まあ、こんな企業が未だにあるということで、話のついでに。)
また、2ページ目も突っ込みどころが多いのだが、しんどいのでこの辺は割愛させていただきたいw。ただ一つ言いたいのは、「『最近の学生はコミュニケーション能力に欠けている』っていう言説は、自分が(採用側が)コミュニケーション能力に欠けていることをエクスキューズするための『言い訳』にしかすぎないのではないか?」ということだ。
「一般職男子」の話に戻ろう。
一般職に応募することは、単に個人のライフスタイルや職業観を勘案した上での帰結にすぎない。男性であっても仕事や私生活、人生に対する価値観は多様であることは言うまでもない。ある者は企業において高い地位に上り詰めることを志向するだろう。またある者は、カツマー的に資格やスキルを身につけていきたいと考えるであろう。また、仕事はそこそこにして家庭や私生活を重視する人も居るだろう。
人間は本来人生に対して多様な欲求を持っているにもかかわらず、これまでは「男は外でバリバリ働き、女は(就職したとしても早く寿退社して)専業主婦になる」という規範が強かった。こうした規範を早くに問題視したのも、また自らの性役割からの解放を望んでいたのも、どちらかと言えば女性の側であった。そしてそれはある程度まで進歩したように思う。(もちろん、先述したような例もあるように、理想とすべきレベルからはまだまだ遠いところにあるのだが。)
ところが、「男性の男性性からの解放」は、どちらかと言えばなおざりにされてきたと思う。けれども次第に、「一般職男子」のように、男性もこうした規範から自由になり、自分の価値観に正直になれる人が出てきたのである。それは冒頭で述べられているような「質の低下」などではない。むしろ質の向上である。
こうしたことが「ゆとり教育の結果だ」というのなら、それは悪なのか?「総合職として入ったにも関わらず転勤がイヤで辞めた」とかいう例に比べたら遥かにマシではないか。
自分に合わない働き方を我慢してし続けていたら、いずれは体か心か、あるいはその両方が持たなくなる。そうなれば、幸せになる人間は誰もいない。そんなのは御免である。