NYのモスク建設反対は建国の理念に反することについて、中東史家のJuan Cole氏のブログ記事より

米国の世界貿易センタービル跡地近くにモスクを建設する計画が問題になっている。
わたしはかねてより、モスクの建設に反対するのは建国の理念や建国者の意思に反する、と考えてきたわけだが、同じような意見を表明している記事を見つけた。中東史家のJuan Cole氏によるものだ。
Palin on the Ground Zero Mosque vs. the Founding Fathers
この記事の中から一部を抜粋してみる。

彼は、ジョージ・ワシントンの言葉として、次の文章を引用している。

If they are good workmen, they may be of Assia, [sic] Africa, or Europe. They may be Mahometans, [Muslims] Jews, or Christian of any Sect – or they may be Atheists …

要するに、ワシントンは、人々が何処出身であるか、どのような宗教を信じているか(信じていないか)は、関係ないと言っているのである。

また、ベンジャミン・フランクリンの『自伝』の、次のような文章を紹介している。

“so that even if the Mufti of Constantinople were to send a missionary to preach Mohammedanism to us, he would find a pulpit at his service.”

この言葉は、フランクリンが、巡回宣教師であるジョージ・ホイットフィールドの活動について触れた中で述べられているものである。彼は、天候に左右されずに宗教的な集会を出来る集会場をフィラデルフィアに建設したが、そこでは、「一般住民のためのものであるから、たとえコンスタンティノープルの回教の首長が布教のために伝導しを派遣したとしても、ここの説教壇は自由に使」うことが出来る、ということであった*1

コール氏は、もちろん、トマス・ジェファソンについても触れている。彼は、自らの偉大な業績3つを墓石に彫らせたが、その内の一つは、「ヴァージニア信教自由法」を起草したこと、であった。このジェファソンに触れずしてアメリカにおける信教の自由というテーマを語ることはできないだろう。

“The legitimate powers of government extend to such acts only as are injurious to others. But it does me no injury for my neighbor to say there are twenty gods, or no god. It neither picks my pocket nor breaks my leg.”
– Thomas Jefferson, Notes on the State of Virginia, 1781-82

つまり、「20人の神々がいる」「神など居ない」と主張することは、物を盗むことや足の骨を折ることと異なって、なにも有害なことではない、と主張しているのであり、合法的な権力はそのような行為には及ばない、と言っているのである。


反対運動は、こうした愛国者達の理想をないがしろにする行為であり、またアメリカの国家的な魅力や道徳的な高潔さを減するものとして、厳しく非難されるべきではないか。

*1:この話は、『フランクリン自伝』角川文庫、荒木敏彦訳、148-9頁に載っている。