有給という権利が使われにくい事についての雑感を、最近読んだ本に関連して
有給休暇なんかなくなればいいのに
権利というものは、法律の条文で書かれているだけではあんまり意味がない、ということがよくわかる。
- 作者: イェーリング,Rudolf Von Jhering,村上淳一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/10/16
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 42回
- この商品を含むブログ (31件) を見る
ある国において法と正義が栄えるためには、裁判官がつねに裁判官席で待ち受けていること、警察が刑事を張り込ませていることだけでは足りない。誰もが、それぞれの役割を果たさなければならないのである。恣意・無法という九首の蛇(ヒュドラ)が頭をもたげたときは、誰もがそれを踏み砕く使命と義務を有する。権利という恵みを受けているものは誰でも、法律の力と威信を維持するためにそれぞれに貢献せねばならぬ。要するに、誰もが社会の利益のために権利を主張すべき生まれながらの戦士なのだ。(86頁)(太字部は岩波文庫版では傍点)
法律は、全くの美辞麗句たるに甘んじないためには自己を主張しなければならない。被害者の権利が侵害されたままであれば法律も反故になってしまうのだ。(92-3頁)
元増田の人は、「あっても使えなくてさらにへんな罪悪感を植えつけるような制度なら最初から無くなって欲しいよ。」と言っている。
イェーリングは、ローマ法では法律が行われないことをもって廃止原因とできる、という例を出している。
そして、
私人が何らかの事情によって―たとえば自分が権利をもつことを知らずに、または安逸と臆病から―いつまでも全く権利主張をしないでいるならば、法規は実際に萎え衰えてしまう。(81頁)
ということを主張している。これはまさにその通り。
さらに、「私法においては誰もが、それぞれの立場において法律を防衛し、自分の持場で法律の万人・執行者としての役割を果すべき任務を負わされているのだ」(83頁)と訴える。そして、権利を主張しないことは、戦線離脱する兵士と同様であり、「忠実に部署を守り続ける者」の状況を悪化せしめる行為であると。
記事に関して言うなら、まあ、裁判沙汰にしろ、とかいうことは思わんけど。でも、今まで我々が享受している諸権利について、どれだけの人が戦ってきたか、また、今現在どれだけの人が戦っているか、そのことに思いを馳せて頂ければ。偉そうなことをいうようだけれども。もっとも、いかなる種類の戦いであろうと、それを要求することは暴力的だと思うので、それはできないが。