人々の望みはいつでも「土地と自由」

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091016/stt0910160315000-n1.htm

稲田朋美議員の「正論」欄での発言について

選挙期間中、私の選挙カーを地域の人々が神社の前で待っていてくれた。農作業の途中で田んぼから上がってきてくれた人、ごく普通のおっかさんたち、そして地域の活動を支える人々。自民党はこういった地域の人々に支えられ、「国民政党」として戦後を歩んできた。地域に根ざした、まじめに生きている人々に支持された本来の自民党の姿を取り戻さなければならない。

ここは正しい。先の選挙における自民の大敗は、こうした、地の塩たるべき人々を無視し、無用なイデオロギー論争に現をぬかしたことに大きな原因があろう。ここまでの認識は正しい。


ただ、「農作業の途中で田んぼから上がってきてくれた人、ごく普通のおっかさんたち、そして地域の活動を支える人々」が、

夫婦別姓外国人参政権など家族や国民の絆(きずな)を弱める法案

の如きものに関心を抱いているのだろうか。そんなわけはあるまい。

子供を持つ親がどういったことに関心を抱いているか。それは、子供にしっかりとした教育を受けさせられるのだろうか、といったことであり、あるいは、子供がきちんと職を見つけられるのだろうか、といったことである。

老い行く親をもつ人にとっての関心事はどうだろうか。それは、親にしっかりとした介護を受けさせ、人生の終章を安らかなものとしてあげられるのだろうか、ということであろう。

少なくともそれらに比べれば、夫婦別姓外国人参政権のごときは、たいした関心事ではない。もちろん、日教組の問題も。そこを見誤ったから、自民党は敗北したのではないか?

もとより、この状況を肯定するつもりはない。人々は様々な問題に目を向けるべきなのである。

だが、それには生活の余裕が必要なのだ。そして人々を、そのような事を考える余裕が無い状態にまで追い込んだのは誰であるか。そのことを、稲田(及び、この期に及んで「理念」「精神」「道義」なるものにすがろうとする保守の人々)は、良く考えるべきであるのだ。

自民党が、言葉の上だけでなく、本当の意味で、国民目線に立ち返ることを望む。