オーウェル評論集からの引用(その1)

この本は、ちょっと前にとある古書店で入手したものだが、なかなか面白い評論集である。絶版なのが残念だが。(オーウェルの作品は、『カタロニア讃歌』を読んだことがある。非常に好きな作品だ。『1984』や『動物農場』は未読だが)

そこで、今回は「出版の自由」という文章*1から、興味深い部分を引用してみよう。この文章が、45年に発表される予定だったものであることを、念頭において頂きたい。
(その1、と書いてあるのは、続き物にしようかと思っているので。あくまでも予定だけど)

現代に独特の一つの現象は、変節した自由主義者である。今では、「ブルジョワ的自由」は幻想だというマルクシストの聞きなれた主張を圧倒するほどの勢いで、民主主義を守るには全体主義的な方法を用いるしかない、という主張が横行している。民主主義を愛するものは、いかなる手段を用いてでもその敵を粉砕しなくてはならない、ということになるのだ。ではその敵とは誰か。きまって民主主義を公然と意識的に攻撃する人びとではなく、誤った教条を広めることにより「客観的に」民主主義の危険を招くものをふくむ、ということになるらしい。言いかえれば、民主主義を守るためには思想の自立性をいっさい破壊してもかまわないということになる。(356ページ)

これと同じ論法を、ソヴィエトの粛清を、「(粛清の)犠牲者たちは異端の思想を抱いた結果、体制に『客観的に』危害をおよぼした」として正当化した親ソ連派の人々や、モズレーの人身保護礼状に反対した人々も利用したと、オーウェルは言う。

そして彼は以下のように主張する。

こういう連中には、全体主義的なやりかたを奨励したりすれば、やがてそれが自分たちに有利な形でなく、逆に危険な形で使われる時が来るかもしれないということがわからないのだ。(357ページ)

彼の文章を読んで、既視感にとらわれるとするなら、それは自然なことであろう。私なんかは、「やっぱり歴史は繰り返すのだ」とでもいいたくなる。

*1:元々は、『動物農場』の序文だったらしいが、訳者によれば、それには付けられなかったらしい