「山谷は高い」という人がいるということ

http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY200903300370.html

ここ数年は多くの宿が改装し、日雇い労働者から、外国人旅行者や学生へと客層が変わった。春休みに入って観光に来た家族連れや部活動のグループ、スーツ姿で就職活動のために上京した学生がとぎれることなく訪れるという。
 簡易宿泊所「ほていや」を営む帰山哲男さん(58)は「ネットカフェ難民には山谷は高い。現代の『ドヤ街』は都心のネットカフェやマンガ喫茶なのでは」と言った。

コミケに参加するため東京に行ったときはいつも、山谷の宿にお世話になった。


それはともかくとして、「山谷は高い」という人がいることを、どう考えるべきなのであろうか。

この記事に限ったことでなく、貧困の問題を考えるにあたっては、以下の引用を参考にするのが良い。

世界のいずこの国であれ、「わが国の貧困者達は仕合せだ。無知も困窮もそのあいだに見出すことができない。わが国は牢獄に囚人が一人もいなければ、往来にも乞食が一人もいない。老人は暮しに不自由せず、税金は過酷でない。合理的な世界はわが国の友だ。わが国は合理的な世界の幸福な友なのだから」と、このようなことを言い得るときこそ、その国は自国の憲法と政府を誇ってもよいであろう。
(トマス・ペイン『人間の権利』)

ペインがこの本を出したのは、1792年である。
2世紀前の水準にすら、我々はまだ達していない。