自由には、ある程度のサイクルがある
それは、自由がより強靭なものになるための、新陳代謝みたいなものかな、と思う。
歴史には引潮と満潮があり、永遠の下降と上昇があって、どんな権利でも永久にかちとられたというものはなく、どんな自由でもたえずあたらしい形をとってあらわれてくる暴力にたいして、絶対に安全だというわけではない。あらゆる進歩はくりかえしてかならず人類からの挑戦をうけるであろうし、誰にも自明なはずの原理も改めて問題にされるときがくるであろう。
(ツヴァイク『権力とたたかう良心』より。)
ツヴァイクがこれを書いた1930年代から、いなカステリオンが生きていた宗教改革の時代から、そういうサイクルを繰り返してきた。私たちが、そのサイクルから逃れられる理由などどこにもない。