「流産させる会」について

http://www.asahi.com/national/update/0328/NGY200903280011.html
これは酷い事件だ。この馬鹿どもには十分お灸を据えてやって欲しい。それは大前提だ。

だが私は、この事件一つをとって、「最近の若者は命に関する感覚がうんぬん」などと、後藤和智氏がいうところの「俗流若者論」をぶち上げることはしない。


2009-03-28
この記事において、id:qushanxin氏は、「昔から中学生には陰湿な部分があった」として、この事件を現代特有の事件とすることを批判している。少なくともこの点については、私も同意見である。

私は、運の良いことに、そういう陰湿な部分にあまり触れずに、中学校生活を送ってきた。そういう身からすれば、私もこの事件に対して憤りを覚えるのは確かだ。

だが、私とて、そういった陰湿さから自由であったわけではない*1

だから、この事件を起こした連中と、中学校時代の私を比較して語るとき、「自分は純真だった」、「この事件を起こしたような連中とは全く別物だった」というようなことは、とても言えない。

とにかく、この事件について、連中を非難する人は、ほんの少しでいいから、自らが持っていたであろう獣性・陰湿さ・狡猾さに対して、意識的であってほしいものだと思う。

*1:それは他人によるものもあれば、自分に由来するものもあった。深くは触れないが。