南北戦争開戦150周年記念蒼い子
服装は、シェリダン将軍を参考にしました。
相変わらず、コスプレさせると誰がだれだか分からない。
というか、私の技量が足りないんだね。うん。
もっと練習します。
あと、星条旗も適当ですみませんねw.
参考リンク:http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110412001&expand#title
ブレザー蒼い子
先日のTLでの会話に触発されて描いた。
相変わらず拙い絵であるが。
蒼い子コスプレ絵は普通の服以上にむずかしい。
最初は帽子無しで描いたら、「これ誰だ」という感じになったので、帽子は被せておいたが、
誰だかわからんという状況はあまり変わっていない。
まあ、暇を見つけてちょくちょく練習するしかないな。
綺麗な蒼い子ブレザー絵が見たいという方は、ここを脱出して以下へどうぞ(笑)
四月四日は : 壊れた冷蔵庫(pスケさん)
たのしいぬりえ(弓下さん)
下手だけど4/4にちなんでMLKと蒼い子描いた。
4月4日にちなんで、キング牧師と蒼い子(似てないが)。
筆記体むずいね。
"I Have a Dream"より、"I've Been to the Mountaintop"*1の方がよかったかもしれないな。
某学生がツイッター上で問題発言をし炎上した背景には「リア充」に対する「非リア充」の「怒り」があるのでは
或る学生が、Twitter上でレイプを正当化する発言をして炎上したという事件があった。私はこの事件について詳しく調べたわけではないのだが、この学生は、学生団体を運営してたり、また某大手百貨店に内定が決まっているそうである。
私は、この学生の言動自体には立ち入らないことにする。
むしろ注目しているのは、炎上の構図についてである。
この炎上が起こった背景には、「意識の高い学生」「リア充」に対する「非リア充」の嫌悪感や被害者意識がある、という風に思われる。
現代の大学は、「リア充」的な人間以外にとっては極めて生きづらい場所である。
例えば、大学で一人でご飯を食べるのが苦手である、という学生が多くなっている、またそれが苦手なあまりトイレの個室でご飯を食べる者まで現れている、という現象である。
痛いニュース(ノ∀`) : 大学生、「一人で学食入りにくい」6割 「便所飯」経験は2% - ライブドアブログ
朝日新聞一面で便所飯特集!! 便所飯ユーザーへの悪質な警告文が流行、某掲示板が関与か?:ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
ここでは、一緒に御飯を食べるような人間関係がない人が、大学生活の中で生きづらさを感じていることを表している。
また、大学当局の側も、「リア充」的な学生を称揚している*1 *2。
他方で企業の側も、このような学生を好んで採るという現実がある。
ただでさえしんどい思いをしているのに、「リア充」が様々な面において優遇されるとあらば、そうでない人間が不満や鬱憤を募らせても致し方のないところではある。
今回の炎上は行き場のないそうした怒りが発露したものである、と私は見ている。そして、その怒りは少なからず理解できるものである。しかしこのような形をとっている限り、生産的なものではない。それはネットをただ焦土とする以上の何物をも産みださないであろう。
同様に、件の学生を叩いている側を批判する言説も見られ、それは多分に正当なものであるが、以上のような構図を踏まえ、これを改善しようとする視点を持たない限り、このような炎上を止めることはできないであろう。
追記
- ここでいう「リア充」「非リア充」概念は、余り厳密なものではなく、あくまでもぼんやりとしたイメージとして、受け取っていただきたい。
- 本論は件の学生の言動それ自体について分析する内容ではないので、本文中でなくここで指摘しておくが、彼が大手百貨店に内定が決まったということと、女性差別的発言をした彼の心性とは、根本のところで無関係ではない。なんとなれば、企業社会自体が、多かれ少なかれ男性主義的・マッチョイズムな要素を持っているからだ。(学生や新入社員に「草食系」が増えていることを問題視する企業の側の言説は、このことをよく表している。)。
- 彼を批判する人間が「非リア充」かどうかは分からんじゃないか、という意見があるかもしれない。これを言われると私は何も言えない。もとより、ネットの特に2ちゃんねるの書き込み主の属性などわかろうはずもない。あくまでも、「こういう構図を見出した」というだけの話である。
*1:大学の広報や案内では、そういう学生がしばしば取り上げられている。勿論、そういう学生の方が取り上げ易いから、というのもあるだろうけど。結果として、そういう学生が模範なんだ、というイメージを植えつけてしまっているような気がする
*2:ついでに言えば、大学が学生にそういう「リア充」的なものを求めるのも、昔からあったことではない。例えば渡邊芳之先生は、現代の大学教育の変化が、昔から一定数存在した「コミュニケーションや対人関係に問題のある学生」を前景化させた、と指摘している。参考>http://twitter.com/#!/ynabe39/status/15551103215079424 http://togetter.com/li/80099(2010-12-17 08:40あたり)